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最新エントリ
2011/10/21
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:37 pm)
 日焼け止めクリーム…たしか商品名が「ワイキキパール」なるものが昔ありましたね。
よくテレビで宣伝していました。
小学校低学年の僕は、興味津々(しんしん)で そのコマーシャルを見ておりました。

 そんなある日、6歳年上の姉が その「ワイキキパール」を 買って来たのです。
「うお!すげえ…」興奮気味の僕であります。
 そしてその日焼け止めのクリームを、自分で試してみたくってたまらなくなりました。
「姉ちゃん、それ貸してえ…」
「ダラ(富山弁でバカの意)!これは、子供の遊ぶもんじゃないの!」と姉は
触らせてさえくれません。
すると〜子供の本能で、なおさらやってみたくなる…

 「フフフ…」しかし内心、僕はほくそ笑んでおりました。 我が家の洗面所の棚に、それが置かれているのは すでにチェック済みだったからなのであります。

 そしてある日、チャンスはやって来ました。
姉が出かけた隙をみて、洗面所に駆けこむと、「シメシメあるある♪」

 さっそく蓋を開け、チューブを絞ると、「旨たらしげな」薄黄色いクリームが、ムニュっと出てきました。(まあ当然出ますわな)
 それをおもむろに、自らの真っ黒に日焼けした左腕に刷り込んだのでありました!

… 僕はワクワクしながら、首尾を待ちました。

… それから数分… 僕の左腕はなんの変化もない。


                                つづく
2011/10/01
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (3:55 pm)
 ぬき足、さし足〜で、普段は家人のあまり来ない 裏のトイレに行きました。(当時は我が家には、2か所トイレがありましたね…なぜか。)

 ついに「喫煙決行の時」が来たのです…
おもむろに〜タバコを1本 口にくわえるものの、なぜか唾液がタバコの巻き紙にしみて、おまけに葉っぱが口の中に入って来る。
「ペッペッ!」と小さな葉をそのあたりに吐き捨てながら、いよいよ着火の段取りだ!

 日ごろ見ていた父親の真似をして、おもむろにふたを「カチャ!」と開けると、着火石をこする!
「ボアッ〜」
あこがれの点火の瞬間だァ! 
しかも なんと〜一発でファイアーだ!

「チリチリチリ…」火はあっという間に点きましたね。思ったより簡単だった。
しかし次の瞬間
「何だァ!このまずさワァ。」
ニガい!からい!けむい!
最悪じゃないかあ。

 その恐るべき不味さに、完全に閉口した僕は、すぐさま消そうとしたが〜そこはしかし子供の悲しさ… そのあとどうすればいいか分からない。
仕方なしに、トイレの中に捨てました。
はい。非水洗の「ボットン便所」ですね。当時は…
あわてたもんだから、まだ数本残ってた箱も落としちゃった。
件のタバコは「ジュッ…」という音とともに、消火しました、無事。

 こうして、僕の初体験は、ほぼ完ぺきに終了しましたが…
トイレ壺の水面に浮かんで見える、タバコのケースが誰かに発見されはしないかと、数日はヒヤヒヤしたものでした。
とはいえ〜、父が大事にしていた〜ライターまで落とさなかったのは、さすがと言うべきか。。


                                つづく
2011/09/16
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (3:58 pm)
 僕が、初めて「タバコ」を吸ったのはいつの頃だったろう?

 そう、小学校の低学年。。。そんなものでしたね。
当時、父親は「ショートピース」というとても強いタバコを吸っておりました。
その銘柄は、確かフィルターさえ付いてない代物でありました。
家では、俗に言う「缶ピー」と呼ばれる丸い円筒形をした缶入りのピース、出かけるときは、10本入りの小箱を持っていたように記憶しています。

 僕には、人前もはばからず煙をくゆらす父親の姿が 妙にカッコよく見えましたね。
(今では、嫌われるタバコですが、当時はそんな空気がありました。確かに…)
そしてまた、うまそうに吸うんですよ、これが…

 で、僕は一度でいいから、タバコなるものを吸ってみたかった。

 タバコを抜きとるチャンスはいくらでもありました。
そこいらに置いてある缶から、1本失敬すれば足るわけですからね。
問題は「火」であります。
僕はてっきり、タバコの火はライターからしか 点火しないとばかり思っていたのです。
子供ですわ…やっぱり

 そんなある日、チャンスは巡って来ました。
父親が、タバコとライターをセットで忘れて出かけたのです。
しかも母親も一緒に…
間のいいことに〜例のおばあちゃんは、テレビの大相撲に夢中だ!

 そっと、タバコセットを自分のポケットに忍ばせると、何気ない顔で居間を出た僕でありました。


                               つづく
2011/09/02
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:48 pm)
 「ボ、ボウズッ!なにするがよ。」
ポカポカ叩きに来る〜小学生に閉口したIさんは、一生懸命言い訳をします。
「ボ、ボウズ〜お前の親父に言われて絞めたんやぞ。俺ゃー悪うないがやぞ!」

一瞬、動作が止まった僕。
「な、なに!お父ちゃんが!?」
「そ、そんなわけなかろうが!この野郎。」とまたポカポカ!
「ほ、本当やって。ほんまなんやて。うそや思うたら〜親父に聞いてみいま。」

*          *           *

 それは、「悲しい真実」でありました…。
そのあと、泣きながら家へ帰った僕は、おばあちゃんに問い正しました。
おばあちゃんは言いました。
「よしなり(僕の名前です)、雄鶏は卵も産まんし、つぶさな しゃーないんやわ。」
「お前の気持ちはよう分かるけん〜だまって絞めたんやわ。」
「お父ちゃんに怒ったらあかんよ。」
さらにこう続けました。
「まだ、メンドリようけおるから ええやろが…」
「そ、そういう問題と違うやろが!」
さすがの僕もあっけにとられました。

 それからどのくらい、僕のストライキは続いたでしょう?
長い長い間、家族とは口もきかなかったように思いますが、なあに子供のことです…ほんの2〜3日だったのかもしれません。


                                つづく
2011/08/20
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:19 pm)
 来る日も来る日も、ニワトリの捜索は続きましたが、一向に手がかりがつかめない。
「あんなに大きくって立派なニワトリが、しかも3羽とも行方が知れないなんて…」
大人なら、そう考えますよねえ。当然。
しかし、そこは子供の悲しさ…
そんな疑問は露ほども思わず、ただただ悲しみに暮れる毎日でありました。

 それから、何日かたったある日のこと…

 当時、我が家の裏隣には、父親が経営する会社の倉庫兼作業場がありまして、数人の作業員が朝夕 出入りをしておりました。
そのうちの(仮にI氏としておきましょう)Iさんという男が、ある日の夕方〜私に声をかけてきたのです。

彼は、いわゆる兼業農家の人で、人はいいが口の軽いタイプの職人でありました。
「おいボウズ!(僕の事をこう呼びましたね。態度の悪い男でした)しっかり勉強しとるがか?」(余計なお世話だい!むすっとする僕)
「ところで、こないだのすき焼きうまかったかい?」
「???…」
とっさに僕は、なんのことだか分からずにキョトンとするばかり…
「あのニワトリ絞めてやったのは俺ながやぞ。うまかったやろ。ボウズ」

「…と、ということは。な、なにい!こ、このおっちゃんがァ…」
一瞬にして、僕は凍りついてしまいましたね。

男は続けます。
「よう肥とって、うまかったのう。俺たちも分けてもろうたさけえの♪」

僕は瞬時に血が逆上しました!
と同時に、小さな僕は、男に飛びかかっていったのです!


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2011/08/06
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:06 pm)
 それは、2学期が始まって まだ日が経ってないある日の午後…
僕は学校が終わると まっすぐに帰宅し、いつものように鶏小屋のある我が家の裏庭に駆けて行きました。
そしていつものように、ニワトリたちの世話をしようと思っていたのです。

当時、前述の3羽のオスの他にも、(お祭りでまんまと騙された詐欺メスに凝り、頼みもしないのに〜父親が農協で買って来た)「メスの中ビナ」が5〜6羽いたので、僕のニワトリの世話仕事は、とんでもなく忙しかったのです。

 ところが、どうしたことか!?
オス3羽のケージが「もぬけのカラ」ではありませんか!

 いや〜あせりましたねえ!
すぐさま、弟を呼んで事情を話すや、二人で近所を探して回りました。
そのうち、近所の友達も集まって来て、いっしょに探す。
しかし、一向に目撃情報もない。。
もちろん 母やおばあちゃん、姉たちにも聞きました。

 日が暮れても、探しまわりましたが、しかし3羽は帰ってきませんでした…。

 心配して呼びに来た姉に連れられて、僕と弟は家路についたのでした。
とっぷりと日が暮れた秋の空には、お月さまが涙にかすんで見えておりました…。
そして、その日の夕食の〜いつもは好物の「すき焼き」にも ほとんど手をつけないありさまでありました。


                                つづく
2011/07/22
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (2:01 pm)
 母の「もくろみ」はふたつとも 見事に外れました。

すなわち…
1、子供が飼う「お祭りのひよこ」なんぞは、たいてい2〜3日で死なせてしまう。
2、万が一育ったら、タマゴを生んでくれる。

ところが…
1の結果: 我が家には「何でも知っているスーパーおばあちゃん」がいて、僕にひよこの育て方を手ずから教えてくれ〜ひよこは3羽ともすくすく育ったのでありました。
2の結果: メスが育ったはずが、7月のある朝〜あろうことか、3羽のうち1羽が「コケッコッコー!」と、けたたましく時を告げたのでありました。
しかも数日経つうち〜他の2羽も同様に大合唱を始めたのであります。
併せて〜トサカが大きく立派に伸び、蹴爪(けづめ:雄鶏にだけ生える)が
オドロオドロしく生えて来た時には、母は顔色を失ったものであります。

 かくして〜3羽もの立派なオスの「ホワイトレグホン」が、ものの見事に育ったのでありました。

ちなみにホワイトレグホンという種類は、ふつう養鶏場で並んだケージで飼っている雌鶏(メンドリ)しか見たことがない方が多いですが〜これの雄鶏というのは、立派な体格と長い尾羽をまとった それはそれは美しく立派なニワトリなのです。大きさもオーバーでなくメスの倍以上はありますね。

 雄鶏は気性も荒く、ネコはもとより〜そのへんの野良犬くらいは、楽に追い払ってしまうほどです。

     *         *          *

 幼い僕にすれば、卵を産むかどうかなんぞは、どうでもよいことでして、立派に育った3羽に「キンタン、ギンタン、コンタン」と名前を付けて、毎日早起きをしては、餌や水をやり、フンの始末や掃除にいそしむ毎日を送っておりました。

 そんなある日…
大事件が出来(しゅったい)したのでありました。


                                つづく 
2011/07/16
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:37 pm)
 僕は、幼いころから 動物を飼うのが大好き〜
さまざまな生き物を飼ってきました。
中でもニワトリには、小学校3年の時からハマって、たくさんのニワトリを自宅の裏庭で飼っておりました。

 ことの起りは、「日枝祭り」もしくは「山王祭り」と呼ばれる〜6月の頭に行われる 地元富山の祭りの縁日で売っていた「ひよこ」。
これを3羽〜嫌がる母親に泣きついて買ってもらったのが 始まりでありました。

 普通、お祭りのひよこなんぞは、2〜3日もすれば、みな死なせてしまうのがオチで、母もそれくらいにしか考えていなかったようであります。
しかし、万が一育った時のことを考えて一応「メス」と書いた箱からひよこを買い求めたところは、さすが田舎育ちの女性の知恵でありまして、「将来タマゴを生んでくれる」…かもしれないとの打算が働いたようです。

1羽の単価が、100円(…だったと思います。オスは確か10円でしたね)でも、当時の卵が高級品であることから、奮発したのでしょう。
でも子供の僕には、オスでもメスでもどちらでも「かわいいひよこ」に変わりはなかったのでありました。

惜しげに… 財布から百円札3枚を支払う母を横目に、粗末なダンボール箱に入れたひよこ3羽を宝物のように抱えて、意気揚々と家路についた幼い日の僕でありました。
2011/05/07
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (11:51 am)
 あとがき

 私は、小学生の時から作文は不得手であった。
手紙を書くことも苦手であり、今も同じだ。
この度のような戦争の手記も、50歳くらいまでは 書く気などさらになかった。

 私は一生〜人前に無様な片腕の姿をさらしてきたことを、決して誇りとしたのでもなく、卑下してきたのでもなく、有りのままに生きて来た…。

 それが老境に入り、体力気力が減退するに従い、せめて子供や孫たち、知人にだけでも「片腕の由来」を知ってもらうことも無意味ではないと思うようになった。

 また、歳を積むに従い、自分の血気の盛んな時代に体験した「戦争」の忌まわしい思い出が、いつか郷愁さえ覚えるようになった。
老化現象かもしれない…。

 ところで、ペンを執るに当たり、いろいろと迷いも出て来た。
わずか27日間の戦闘だから、記憶をたどれば脈絡もあるような気もするが、それにしても50年の月日は長すぎる。
 どれほどの長さになるのか。
果たして完結させることが出来るのか… 見当もつかない。

 だが、そんな迷いの中で、結果はともかくとして、やってみようと決意させたものがあった。
それは、何かと言うと〜次のようなことであった。

 自分の70余年の生涯を通じて、明日の事は考えないで、「今日一日」というより、「瞬間」を命がけで生きた日が何日間あったか…と反省してみると、厳密にいえば、あの27日間だけではなかったか。
してみると、これは一生で一番大切な「生きがいの記録」として絶対に残すべきであり、文章の巧拙などは論外だと気付いたのである。


                                つづく
2011/04/30
カテゴリ: オヤジのつぶやき : 

執筆者: kureharo (4:14 pm)
 村長さんが老母に来意を告げ…
「ここではなんだから俺の家に行こう。」と老母を伴って 再び村長宅へ戻った。
 村長の話では「戦死の公報のみで他に何の通知もないので、様子が分からず困っていた。こんなところまで よく来てくれた。」と感謝された。

 …出征以後のこと、戦地での彼の活躍ぶり。殊に羅店鎮の夜襲の激しかった様子、その時の彼の勇戦奮闘のありさま、加えて壮烈な戦死の状況等〜詳しく説明した。
 村長も涙を流しながら 大変感動されて 老母に向い「これだけの話を聞けてよかったのう。これでお前も肩身の広い思いでおれるのう…。」と慰める。
傍らの老母は 肩を震わせむせび泣くばかりだった。
村長はさらに重ねて「お前の息子は、立派に働いてお国のお役に立てたのだから、諦められるだろう。」と優しく慰めていた…。

 当夜はすでにバスもないので、勧められるままに村長宅で泊めていただくことにした。
…すると老母が、せめて風呂だけでも自分の家で入ってくれと、頼むように言うので、上野の家へ入浴しに行った。

 風呂と言っても…台所の土間に木の風呂桶が据えてあり、流し場はスノコが一枚置いてあるだけのものである。

 汗を流していると〜老母が来て「せめて背中でも流させて欲しい。自分の息子と思って体に触らせて欲しい…」と言い後ろへ回った。

 背中を流してくれながら…
「私はただ一人の息子だけを頼りに生きてきました。早く嫁を貰って、貧しくとも楽しい老後を夢見ていたのです。たとえ両手両足が無くなっても、生きて帰ってほしかった…」
と言いながら、自分の右腕の切断部を そっと撫でさすって泣いている…。
 自分も思わずもらい泣きしながら「出来ることなら、戦死させずに反してやりたかった」と思った。
もちろん…及ばぬことは分かりきっている。

 老母の胸中は痛いほどよくわかるので 居たたまれない思いであったが、反面では来てあげてよかった…とも思った。

 翌朝のバスに乗り…
村長さんと並んで 腰を曲げて見送ってくれた 小さな老母の姿が忘れられない。


                               つづく

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